苦しみのメカニズム
今日は仏教の根本である「苦しみを取り除く」とはどういうことか、についてお話しします。仏教の目的は、苦しみを取り去り、心安らかな状態に至ることだと思います。
苦しみとは何かというと、仏教では「四苦八苦」という言葉があります。今日はその中から、代表的な四つの苦しみを紹介します。それは「生老病死(しょうろうびょうし)」です。
まず、「生まれること」自体が苦しみであるとされています。次に「老いること」、年を取ることが苦しみになります。そして「病気になること」、病にかかることが苦しみです。最後に「死」、死ぬことも苦しみとなります。このように、生き物は生きている中で、これら四つの苦しみを受けるのだと仏教では説かれています。
では、この「苦しみ」とはどのように定義されているのでしょうか?ある方が「苦しみ」について次のように考えています。それは「苦しみ=痛み×抵抗」である、というものです。
例えば、年を取ることを考えてみましょう。年を取ることで体が不自由になり、思うように動かなくなることは、確かに痛みを伴います。それが苦しみの一部です。また、病気も同様に痛みを伴います。しかし、これだけでは「苦しみ」とは言えません。そこに「抵抗」という要素が加わるのです。
この「抵抗」とは何でしょうか?私は、それを「現実と自分の希望とのギャップ」だと考えます。例えば、病気になった時、もし大切な予定や楽しみにしていた旅行が控えていたらどうでしょう?病気によってそれらができなくなると、予定通りに過ごしたいという自分の希望と、現実にできないという状態のギャップが生まれます。このギャップが「苦しみ」をさらに大きくしていくのです。
最近、台風が来て多くの被害をもたらしましたが、これも同じです。台風によって予定が崩れ、「この台風さえなければ」と思うことで、苦しみが増大するのです。
では、どうすれば苦しみを減らすことができるのでしょうか?ここには二つのアプローチがあります。一つは「痛み」を取り除くことです。これは、老いや病気において医療が役立ちます。また、社会が進歩することで、痛みを感じる機会を減らすことができるでしょう。しかし、もう一つ重要なのは「抵抗」を減らすことです。これは、心の問題です。
いくら社会が進歩して痛みを減らしても、心がそれに伴わなければ、期待と現実とのギャップが埋まらず、苦しみが増してしまいます。仏教はこの「抵抗」、つまり心の部分に重点を置いているのだと思います。だからこそ、仏教は「心と向き合う教え」なのです。
もちろん、痛みに対して社会を改善する活動をしている寺院や信者も多くいます。両面からのアプローチが必要ですが、仏教では特に心を扱うことで、苦しみの「抵抗」の部分を減らすことができるのだと思います。
今日は、苦しみの定義について整理し、少しお話しさせていただきました。ちょうど台風も来たことで、私自身もその影響を受け、あたふたさせられた部分がありました。少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。
本日もお話にお付き合いいただきありがとうございました。皆様の無事をお祈り申し上げます。それでは、失礼いたします。