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2023-02-12

初めてお寺を訪れた男の子「今日って誰かの誕生日なん?」

先日ひと組の親子がお寺を訪れてくださった。

姫路城の近くとはいえ、観光寺ではない当寺院においては珍しいことだ。どうやら私がインターネットを通じて布教をしているのを見かけ、興味を持って訪れてくれたらいい。

しかもこの親子、自宅には仏壇はなく、お寺へお参りすることも今までなかった。つまりお寺とのご縁が無かったということだ。

お寺の門をくぐってもらい、仏縁とできたことの喜びを感じながら、本堂にて少しお話をした。



「ひと組の親子」と書いたが、具体的には「父」「母」「小学校低学年ほどの男の子」の3人だ。そしてこの男の子、非常に好奇心旺盛と見えて、初めて訪れるお寺のあれこれが気になって仕方がないらしい。

「あれなんなん?」「あれはー?」 

そんな質問の嵐に嬉しくもあり、答えに困ることもあり。僧侶として相当鍛えていただいた。 



数ある質問の中でもとりわけ心に残っているものがある。本堂へ入ってきて第一声として出てきた質問だ。



「今日って誰か誕生日なん?」



どうして彼がこのような疑問を抱いたのか、皆様はお分かりになるだろうか?

私は正直、(なんでそんなこと聞くんやろう・・・)と困惑し、「なんでそう思ったん?」と聞いてみた。すると返ってきた答えはこうだ。


「だってローソクがあるから」



なるほど、彼にの中には「ローソク=ケーキの上に乗っているもの」という公式が刻まれているのだ。
「仏様の前のローソクは吹き消しちゃダメ!」そう教えられてきた私にとって、「仏前のローソク」と「ケーキのローソク」は全く違うものという認識だった。私の固定観念が彼によって壊された、そんな面白さを感じたものだ。


お供えはプレゼント

しかしふと、
「仏前のローソク」と「ケーキのローソク」
2つは似通ったものであることに気づく。これらはどちらも「プレゼント」なのだ。


誕生日を迎える者のために用意される「ケーキのローソク」、仏様やご先祖様のために用意される「仏前のローソク」。後者はお供えと呼んではいるが、平たく言えばプレゼントのことだ。

お寺や仏壇のお供えはプレゼントである。お膳やお菓子で飾るのももちろん、

  • 香炉(こうろ)
  • 燭台(しょくだい)
  • 花立(はなたて)

これらは「三具足(みつぐそく)」と呼ばれ、必ずと言っていいほど仏前にあり、それぞれ
「お線香の香り」「ローソクの光」「お花」をお供え、プレゼントしている。

考えてみれば「◯回忌」といった法事も誕生日と言えなくもはい。人が亡くなれば、多くの人にとってそれは悲しみを伴う出来事であり、別れである。お葬式のことを告別式、別れを告げる式だと表現するところにも人々の死への感覚が現れているように思う。



しかし、物事は立場が変われば見方が変わる。私の右はあなたの左であるのかもしれない。


葬儀という宗教儀礼を通した時、人の死は別れとは違う側面が見えてくる。仏の世界への新たな旅立ちである。先に旅立った先祖、仲間のいる浄土へと旅立ち、そして「倶会一処(くえいっしょ)『仏説阿弥陀経』」、同じ世界で再会を果たすスタートとなるのである。



一周忌であれば浄土に生まれて一年の誕生日だ。誕生日パーティー同様、仏事においてもローソク然り、たくさんの気持ちのこもったプレゼントを届けたいものである。

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