心を軽くする習慣
例年にないスピードでの梅雨入りとなりました。
ただでさえ気分も曇りがち。それに加え世情の不安、ストレス、恐怖。そんな事情も加わり、どこかこう、心に重しが乗っかっているような、そんな気がいたします。そこで今日は「心を軽くするには」ということでお話していこうと思います。天台小止観という書では坐禅の指南書なのですが、いきなり座るんじゃなく、まずは準備として体、心の調え方が紹介されていきます。今日はその内容から心を軽くするにはという事を考えていきます。
- 皆心を軽くしたい!
- 心について扱う上での落とし穴
- 天台小止観で説かれる心を整えるための準備
- お寺の生活にあるヒント
- 心を軽くするためには
皆心を軽くしたい!
先日、法事の席での出来事です。そこの家は普段おばあちゃんの一人暮らしです。娘夫婦が近くに住んでらっしゃるので頻繁に家を訪れるんですが、多くは一人で元気に暮らしてらっしゃいます。
しかしそのおばあちゃんが寂しいというのです。寂しいのには様々な理由があるようです。
大きな要因としては、旦那さんが亡くなり一人で暮らす寂しさ。長年連れ添ったパートナーが旅立ち、孤独を感じるのです。
別れの悲しさの感じ方は人それぞれで、立ち直る時期もバラバラです。寂しさを感じるのは良い思い出があるからこそ、なのかもしれませんが家族としては心配ですよね。
またさらにこのコロナ禍が寂しさに拍車をかけるようです。人との繋がりや娯楽が満足とはいかない状況です。きっと語って下さっただけではない、複雑な思いがあって寂しいという感情に結びついているのだと思います。
家族としては心配ということで、法事の時にふとこう仰いました。
「こころを軽くする方法ないんでしょうか?」
私自身、こころを軽くするというのは追い求める問題でもあります。そこで素直にまず思ったことをお話しました。
「まずは規則正しい生活ですよね」
この答えにご家族はがっかりされたと思います。そんなことか。
こころを軽くするという問いに対して規則正しい生活。期待外れだったことだろうと思います。しかし心を軽くするということは確かに「心の問題」ですが、心というのは簡単にコントロールできるものではないのです。
心を軽くする時の落とし穴
心というのは厄介なものです。「不可思議」と言われたりもします。さっきまで友達と楽しく過ごしていたのに、ふとやり残した課題があるのに気付き暗い気持ちになる。またこうして文章を読んでいるつもりが、ふと別の考えがよぎっていたり。
仏教は特に「心」へスポットをあてます。天台宗では「観心」というぐらいに心を大事にします。禅(天台宗では止観といいますが)の時にも心があっちに行き、こっちに行きする様を観察します。
天台大師はそんな心をサルのようなものだと表現しています。お猿さんです。
とてもコントロールすることは難しいモノなのです。お猿さんを手なずけるのは難しいことです。
だからいきなり心に焦点を当てるのはおススメできません。それはハードモードです。ではどうするか。『天台小止観』という座禅の指南書では心と向き合う前に、準備の大切さを説きます。それはつまり、規則正しい生活です。
天台小止観で説かれる心を整えるための準備
座禅をするんなら座ればよかろう、そう思われるかもしれませんが、天台小止観の中では、事前に食事を整えること、睡眠を整えること、すべきことは終わらせよ、などといったことが大切とされます。もちろん、その他に静かな場所を求めよとかなど座禅らしい項目もありますが、食事や睡眠を適量しっかりととる、そんな事がわざわざ説明されます。
これらの食有るを食縁具足と名づく。これを衣食具足と名づくは何を以ての故なるか。これらの縁なければ、則ち心安からず、道に於い て妨げあり。(衣食具足)
縁務(雑務)多ければ、則ち行道の事廃れ、心乱れて摂(おさ)め難し。(息諸縁務)
確かに座禅をする時にお腹がいっぱいであると集中できません。睡眠が短ければ眠たくなってしまいますし、長すぎてもぼーっとします。そしてすべきこと(縁務)があったらどこか心が落ち着かず心配になりイライラします。たとえ座禅が終わったとしても、やることが終わっていないことから憂鬱な気持に心が覆われていくこともあります。
これはきっと座禅の時だけではなく、日常生活何をする時においても、自分の心を見つめ直した時に心が暗澹たる気持ちに覆われていることに気付くときはあるのではないでしょうか。
そしてそんな時には睡眠や体調の不調またすべきことが終わっていないなどの要因があるように感じます。
心を整える上で生活規則正しい生活は非常に大きな役割を担っています。
それを分かっているからこそお寺という場所では習慣として朝の日課というものがあります。
お寺の生活にあるヒント
門を開けること、これは朝起きることにつながります、そして掃除をし体を動かします。落ち葉を掃いたりすれば太陽光を浴びます。太陽光を浴びるというのは大事だそうです。自然とそれがなされます。そしてお経を読み、声を出します。なかなか一人で住まわれていると一日声をださないことも、そんな話も聴きますが、お寺のお勤めではしっかりと声を出します。そうして体調が調えられ、そして心を調える準備がなされるのでしょう。
むしろそれだけでも十分、心が軽くなるかもしれません。そこからさらに、『天台小止観』では食事も貪ることのない量を食べ、静かな場所で坐禅をして修行しなさいよと言うのです。
いずれにせよ、心を軽くするのには規則正しい生活が良いことが伝われば幸いです。
心を軽くするためには
日常の生活においてはなかなか規則正しい生活が大事だといっても難しいものです。しなければならない事があり夜遅くになってしまったり、夜にしか自由な時間がとれず、寝るのが遅くもなります。外にでて運動、散歩をしたくてもなかなか時間もない。年をとるとそもそも自分の脚では外に出ていけない場合もあります。声を出すにも話し相手がいない場合もあります。
そんな事情もあるので仕方のない所はあるのですが、出来る範囲で規則正しい生活を志すことは心を軽くするための道筋といいますか、一番近い道となると思います。
しかしどこか、心を軽くするための裏技といいますか、特別な魔法があるように期待してしまいます。規則正しい生活という当たり前の道筋以外の方法を求めます。
一時的に気持ちのいい音楽を聴き、言葉をきき、こころが軽くなることはあります。それ自体はいいことなのですが、問題の解決にはなっていないのです。ですから音楽や言葉を聴き、すこし心を軽くなったタイミングでそこからは自分で生活を整えていくことができれば、結局それが心を軽くする道へつながるのだと思います。
どうか規則正しい生活を見直し、少しづつ目指していきましょう。