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2020-05-30

戒名とはつながる事 戒名を初めて考えた話

先日、初めて檀家様の戒名をつけました。

戒名というのはお位牌やお墓に書いてある、あれです。

宗派によって違う部分もありますが、

  • 〇〇院△△✕✕居士(大姉)
  • △△✕✕居士(大姉)
  • △△✕✕禅定門(禅定尼)
  • △△✕✕信士(信女)

という名前の構成です。
浄土真宗では構成が大きく違い、釈✕✕とするようです。呼び方も戒名ではなく、法名とのこと。

昨今は多くの場合、お葬式の時に、亡くなられた方へと戒名をつけています。

私が初めてこの戒名をつけて思ったのは、

難しい。とても責任が重い。

戒名とは何か、そしてどんな風に名前を考えているのか、経験の少ない未熟な僧侶ではありますが、初心を忘れない為にも記録に残しておきたいと思います。

何卒お付き合いくださいませ。

目次

戒名の意味

まず、戒名とは何なのか。

戒名は、仏一門の名前です。

落語家さんをイメージしてください。
落語家さんは師匠に弟子いりして、一門に入門し、師匠から名前を受けますよね。あんなイメージです。
しかし大事なのは、一門に入るというのは、名前を受け取るのと同時に、志も共にするということです。

桂歌丸さんのお弟子さんである、桂歌助さんが書かれた本の中では、
歌助さんが入門してから「歌丸一門の掟」を言い渡されたそうです。

師匠 歌丸 背中を追い続けた三十二年

師匠 歌丸 背中を追い続けた三十二年

  • あいさつをきちんとすること
  • 時間をきっちり守ること
  • お金の貸し借りはしないこと

芸ができればあとは何でもいいというわけではなく、歌丸の弟子として最低限この3つを心がけること。

こんな事が書いてあります。
一門での心得が3つあり、これを自分の生きる上での基礎としながら芸に励んでいく、これが一門に入門するという事です。

実はお葬式もこれと似ています。

仏一門にも、生きる上での心得があります。殺さない、盗まない、といった普遍的なものから、人の為に行動する、自分の利益のために他人を悪く言わない等。
これらは戒と呼ばれ、お釈迦様が決めたものです。

戒は「いましめ」と読みますので、法律のようなものを想像しますが、厳密には道徳のような、善悪を判断するうえでの指針の事です。

仏一門に入るというのは、「戒という心得をお釈迦様と共にし、これから歩んで行きます」という事なのです。

そしてその戒を受けた証明となるものが「戒名」なのです。

お葬式の中では戒(仏一門の心得)を僧侶が伝え、仏様からの系譜の一番末に加えます。

これにより仏の弟子として入門したことになります。宗派によってこの扱いは違いますが、天台宗では菩薩として生きていく事になります。

菩薩といっても僧侶になるのではありません。仏道を進みながら、人々の為に行動するという人の事を指して菩薩といいます。

まとめると、仏さまからの系譜に名を連ね、菩薩として歩んで行く。これが戒名を受けるという事です。

時に、戒名というのは「死んだ後の名前」という風に言われます。確かにお葬式の時に戒を授け仏弟子とすることがほとんどなので、「死んだ後の名前」と言われるのも無理はありません。

しかし戒名はあくまで、仏一門の弟子としての名前。
仏教徒であれば、生きている内からも、仏様の弟子として生きるのが理想です。

実は生前に戒名を付ける事は結構あります。
全国的には分かりませんが、位牌やお墓に、生きているうちは戒名を赤字で彫るという習わしもあります。

生きている内から戒を受けるというのは、仏様とつながりをもち、それをモチベーションとして良く生きていこうという思いからです。

僧侶の私も当然戒名を持っています。それが恵俊という名前です。
仏教を素晴らしいと思える方であれば、この世で生きているうちから、仏様と同じ志をもって、歩んで行くのが良いし、そうありたい、と思うのです。

戒名の構成

ここからは戒名の構成についてお話ししていきます。

仮に、以下のようにお位牌に書かれていたとします。

 真実院恒常唯一居士 

上記の名前は「院号道号戒名位号」という構成で成り立っています。

まずはじめに、戒名は実は基本的に2文字です。
「唯一」の部分が戒名です。おそらく仏様の世界では「唯一」と呼ばれることになるのでしょう。
これが仏弟子としての名前です。先にも言いましたが私の戒名は恵俊と言います。やはり2文字です。他の道号や位号はまだ持っていません。

昨今、言われる所の戒名というのは、
院号・道号・戒名・位号をまとめたものであり、あまり正確ではないかもしれません。

では戒名以外の部分は何を指しているのか。

道号は、戒名だけでは短くて違いが出にくいという事情もあり、加えられる2文字です。その人の進む道、歩んできた道、性格をイメージしてつけられる場合があります。

院号・位号

次に院号位号です。これは敬称のようなものです。

通常は信士(信女)という位号をつけます。
先程の名前でしたら、

恒常唯一信士

という具合です。

しかし恒常唯一信士は、寺院に対して多大なる貢献をしていた。そんな場合には信士ではなく居士(大姉)といった位号をつけます。さらに大きな貢献であった場合には院号をプラスする事もあります。

すると初めに言った、

真実院恒常唯一居士 

というお名前になるのです。

よく戒名が高かったという話を聞きます。
それは恐らく、この位号を「居士」にしたり、院号を加えたりするので高いのだと思います。

ですから戒名料というよりも、位号料というのが正しいという指摘もあります。

戒名に関しては上も下もありません。

ではなぜ、院号や位号を変えてお金を取るのか、という話について。

位号や院号は本来、寺院に貢献してくださった方への感謝として贈った称号です。
元祖スポンサーのようなものです。

例えば、お寺の役員を長く務めて下さった方に。
寺院は住職が代表役員という立場になっており、住職だけでなく檀信徒様に役員をしていただき、事務的な事、行事の準備等を協力していただくことで成り立っています。

そんな方々への感謝として贈るのです。

また、経済的にお寺に貢献して下さった方へも感謝としての位号を贈ります。
大昔には、仏塔などの伽藍(境内の建造物)を個人が建設して援助するようなこともあったそうです。

こういった経緯であったものが、時代を経て、いつしか順番が逆になり、院号や、良い位号と引き換えにお金(援助)を頂戴するという構図になりました。生きている間に貢献はできなかったけれど、したい気持ちはあったということを表しているのだそうです。

ですから、戒名には上も下もありません。「信士」と「院居士」は、決してお寿司の「上握り」と「特上握り」のように材料が違うわけではありません。

貢献して下さったことへの感謝なのです。

実際、金銭的なお布施をいただければ助かります。お寺の収入=住職の収入と思われがちですが、住職もお寺の役員という扱いですから、給料制です。
お寺の収入は、基本的に寺院の維持・発展に使われます。勝手に何でもできるわけではありません。
大きな伽藍を維持していくのは大変なところもあります。ですから、事実として助かるのです。

 

お寺なんだから、称号を変えて差別するな、という声に対して。
決してお寺に貢献できない人を責めているのではない、という事をご理解ください。

多くの負担をして下さった方がいて、寺院は伽藍を持ち、檀信徒様や地域に対しても広く貢献できます。多くの人に還元できるのです。(お寺にはその使命があるはずです)

もし院号や居士などの位号を持つ方がいれば、お寺を通して色んな方を救おうとした、立派な方だな、というように応援するような目線で考えてください。

戒名を初めて考えた話

そんな仏教徒として重要な戒名を先日、私が付ける事になりました。檀家様の戒名です。
90歳を越えるおじいちゃんでした。

私はまだ副住職の身。
お葬式を執り行うのは、父親でもある住職です。戒を伝えるのは私にはまだまだ早いです、お寺の代表である住職がすべきことです。私が名前を候補として出し、住職がそれにOKを出して採用するという形をとりました。

まず初めに考えたのは、道号です。

ご家族から伺ったエピソードや、おじいちゃんの性格を書き出してイメージします。

そのおじいちゃんは定年まで会社で勤めた後、自分でも会社をおこし、長い間働き続け、会社や家族を支えたという事です。優しく、我慢強い方であった、皆さんそう仰いました。

働き続けたという事で私は「精進」という言葉を使いたいと思いました。仏教の修行の1つで、努力し続けるという事です。重要だけれども中々できない事です。
そして優しい方というイメージから、「慈悲」という言葉を使う事にし、
「慈進」という道号をつけました。

そして「戒名」です。
決まりはありませんが、その方の名前の一字を頂き、戒名に入れる事が多いです。家族が見ても親しみが持てるからでしょう。正明寺も俗名の一字を頂いて戒名を決めることが多いです。

私は名前の一字を取り出し、これがどういった意味の漢字なのかをまず調べました。(具体的な漢字は伏せておきます。)

そしてこの漢字はお経にも出てきたっけなあ、と考えてみました。
しかし私が普段から読むお経の範囲では思いつきませんでした。

お経というのはかなり膨大な量あります。普段、法事等で読むお経はその内の、ごくごくごくごく一部です。法事で読まないお経は必要ないのかと言えばそうではありません。全てのお経は誰かに、目的をもって語られた言葉たちですから、全て必要です。
しかし中々全部を網羅する事は困難です。

そこで、お経のデータベースで検索してみる事にしました。SATというブラウザ上で使えるものです。

すると結構な数がヒットしました。
『華厳経』というお経にも、おじいちゃんの漢字がいくつか見られました。

『華厳経』はお釈迦様が悟りを得られて、一番初めに、悟りをそのままの形で話されたもの、と天台宗では解釈されています。
普段から読経するということはありませんが、多くの僧侶に影響を与えてきた大乗仏教を代表するお経です。

検索に引っかかった箇所を1つ1つチェックしていきます。
すると、その内の1つがとても気になりました。

ぱっと見ただけでは内容を詳しく知るほどの読解力はありません。でも季節を表す漢字が書かれていたのですが、今の時期にもピッタリ。しかもなんだかすごく良い事が書いてある、そんな予感がしたのです。

文章を遡って、章の始めから読んでいくこと数十分。

お経の力みたいなものを感じました。

すごくぴったりな内容だと思ったんです。

仏というのは、夏の始めの月のようなものだ。
夏の始めは空に雲がなく、太陽の光が眩しいばかりに一面を照らし出す。
日中は光が眩しすぎるから、月は私達から見えない。そこには存在するのに。
目が見える人でも見えないのだから、尚さら目が見えない状態では月を確認する事はできない。

仏も月と同じ。普段は見えないけれども、仏教修行を行い、真理を見られるようになれば、そこに仏のいることに気付く

檀家さんのおじいちゃんも、長く会社を率い、放ってきた光というのはとても眩かったと思います。夏の空のような物かなと。
今はお亡くなりになり、これからお体は火葬されてなくなってしまう。
でもそれは見えなくなっただけで、確かにずーっと、月のようにそこにいるんだ、というイメージです。

名前も入って季節もイメージもぴったり。

お経にヒントを求めて良かったと心底思いました。

いざ、住職にチェックしてもらいました。

字の選び方、バランスがイマイチと言われてしまいました。

 もうちょっと候補無いか?

思いを込め、そしてお経で出会った、という感覚があったので少しショックでしたが、やはり葬儀で戒を伝えるのは住職の仕事。
戒名も最終的には住職が決める事です。

どうしたら良くなるかと暫く考え直していたら、住職から呼び出されました。

 なんであの戒名にしたか説明してみ

そう言われ、経緯をそのまま話しました。

それを聞いて住職は悩みましたが、

 うーん、じゃあそれで行こうか

と言ってくれました。

こうして、私の初めての戒名決めは終わりました。

お葬式も滞りなく進み、戒名と共におじいちゃんは極楽浄土へと旅立たれました。

おじいちゃんやご家族が、戒名に満足されたのかは聞いていませんし、こちらから聞くことは出来ないので分かりません。

多分名前のセンスはまだまだですし、仏弟子として長く共にする名前を決めるのにはお坊さんとして未熟すぎる、と思っています。

しかし今の私の感覚は今だけのもの、一歩ずつ歩んでいき、今を積み重ねていくしかない。

住職もそんな思いがあって、戒名をOKしたのかもしれません。

一歩ずつ歩んで行かなければならない事を忘れず、これからのお坊さん人生を精進していきたいな、と思いました。

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